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コンピュータシミュレーションを使って細胞の秘密を解き明かす

市川一寿
東京大学 医科学研究所 腫瘍数理分野

1950年 東京都生まれ
出身高校:東京都立新宿高等学校
趣味:音楽(全ジャンル)、近代史
HP: http://tc-simulations.com/homepage/


皆さんはタンパク質という生体物質の名前を学校の授業のみならず、日常の色々な場面で耳にしたことがあると思います。タンパク質は生体の重要な構成成分のひとつで、がん、脳疾患、感染症といった病気の多くは、タンパク質の働きの異常が原因となって引き起こされます。人間の体はおよそ60兆個の細胞からできていると言われていますが、その細胞一つ一つの中に数万から数十万種類にも及ぶタンパク質が存在し、生命活動を支えています。そのタンパク質の一揃いのセットのことをプロテオームと呼び、遺伝子の全体像であるゲノムの解読に続き、プロテオームの解析(プロテオミクス)が急速に進められるようになってきています。

プロテオミクスは新しい学問分野ですので、初めて耳にした人も多いのではないかと思います。ここでは最先端のプロテオミクス研究の現場でどのようなことが行われているのか、実際の様子を簡単にご紹介したいと思います。

プロテオミクスの研究は、主にタンパク質サンプルの調製(ウェット)とコンピューターによる解析(ドライ)という2つの過程から成り立っています。ウェットの過程では、まず様々な試薬を用いて細胞から調べたいタンパク質を取り出します。病気に関係するタンパク質は非常に微量であることが多いため、実験をする人や実験器具に付着しているわずかな汚れやほこりが混入しないよう、実験作業は慎重に行われます(図1)。分離したタンパク質は、測定を行いやすいように分解酵素によって短い断片(ペプチド)にし、質量分析計と呼ばれる装置を用いて測定します(図2)。


図1:分子細胞生物学関連のシミュレーション論文数


図2-1)NF-κBの新規制御メカニズムの発見:
4Dシミュレーションのモデル及び、明らかになった新たなメカニズムと予言(赤字)。


図2-2)がん浸潤抑制の新規メカニズムの発見


図2-3)SG形成を制御する統合的メカニズムの発見
SG形成の粒子シミュレーションでは、統合的メカニズムを明らかにした。

最先端の質量分析計には、サンプルの導入部にナノLC(Nano-liquid chromatography)と呼ばれる超微量分離装置が設置されており、一つのサンプルから数千〜数万種類のペプチドを検出することができます。ドライの過程では、得られた膨大な測定データを基に、どのようなタンパク質がサンプル中に存在しているか、ソフトウェアを用いて一網打尽に解析します。近年の測定・解析技術の飛躍的な進歩によって、今までの分析法では解析が困難であった多くの微量タンパク質の存在が分かるようになってきました。

このような新しい先端分析技術が生命科学・医科学の分野でどのような発見に貢献しているのでしょうか?私たちの研究グループが行った実際の研究例を以下でご紹介したいと思います。

タンパク質が実際に細胞の中で機能を果たす時は、多くの場合複数のタンパク質が結合した状態(複合体と呼びます)で存在していますが、様々な生命現象ごとに全く異なる構成をしています。そこで、調べたいタンパク質を捕まえることができる抗体と呼ばれる物質を用いて、微量のタンパク質複合体を集めて測定用に精製します。私たちはこの研究グループでの活動において、がん化に関わることが知られているIkBキナーゼ(IKK)複合体を構成する重要なタンパク質としてp47という名前のタンパク質を新たに発見することができました。

タンパク質は細胞の核にあるDNAからメッセンジャーRNAとして転写された配列情報をもとに合成されます(この過程を翻訳と呼びます)が、ほとんどのタンパク質はこのままでは「未成熟」な状態で、一人前になるために言わば仕事用の「部品」を装着して実際に機能を果たします。この部品を装着する過程を翻訳後修飾と呼んでいます。

翻訳後修飾には、リン酸化をはじめとしてユビキチン化、グリコシル化などの様々な種類の「部品」があることが知られていて、細胞の増殖や分化、アポトーシスなど様々な生命現象において重要な役割を果たすことが知られています。私たちの研究では、生物の睡眠・覚醒リズムに関与することが知られているCRYタンパク質がユビキチン化修飾を受け、体内時計の調節に関わることを見出すことに成功しました。

研究者を目指す若者へのメッセージ
細胞シミュレーションは、実験では発見しにくかったり考えにくかったりする現象とメカニズムを、発見・予言する強力な方法論です。また、複雑極まりない細胞のメカニズムを実験だけで明らかにすることには大きな困難が伴います。シミュレーションはこの困難を取り除く方法論でもあります。もちろんシミュレーションで得られた結果は実験で検証されなければなりません。今後は実験とシミュレーションの垣根が取り払われ、手を携えて研究を進めることになると予想しています。本領域の研究はまさしくその先駆けですが、今後ますますこのような研究スタイルの重要性が増すに違いありません。一方、シミュレーションは方法論として、まだまだ研究すべき点が多く残っているのも事実です。今後若い人たちが細胞シミュレーションに参入し、実験研究と共同して研究を進めることを願って止みません。

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