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がん細胞は自己の生存を維持する仕組みを持っている

山岡昇司
東京医科歯科大学大学院 医歯学総合研究科
ウイルス制御学

1955年 愛媛県生まれ
出身高校:私立愛光高等学校
趣味:スキューバダイビング、オートバイ、料理
研究室HP: http://molv.org/


人の病気の有効な治療法を開発する上で、病気のしくみを知ることはたいへん重要です。治療がむずかしいがんや、長い間続く発熱や痛みを伴う炎症を特徴とする病気の治療をするにあたって、症状を緩和するだけではなくできるかぎりその病気の原因を取り除くような治療ができないかという考えから、私たちは治療の標的になるような病気特有の異常を見つけ出すことを目標に研究をしています。

病気の原因を細胞レベルで考えると、遺伝子とタンパク質の問題にたどり着くことがしばしばです(図1)。それは、タンパク質が遺伝子情報をもとに作られ、そのタンパク質同士のネットワークが正常な細胞の活動を支えているからです。ネットワークでは情報のやり取りはもちろん、相互作用によって物が作られたり運ばれたりあるいは分解されたりします。ある病気でのタンパク質の異常は、発現量や構造上の異常かもしれませんし、タンパク質分子上に後から加えられる目印(翻訳後修飾)の違いが原因であるかもしれません。がんを例にとると、細胞膜から核さらには遺伝子へと情報を伝えるシグナル伝達経路上のタンパク質が遺伝子配列の変異の結果発がん性を持つようになったり、ふだん発がんを抑えているタンパク質が変異の結果その機能を失ったりそのタンパク質の発現が失われたりすることで発がんすることもあります。また、炎症という現象はけがをした際や病原体に感染したときに起こるからだの反応で、発熱や痛みを伴います。慢性炎症性疾患は、このような外的な原因がなくなっても炎症が治まらないような病気で、炎症をコントロールする遺伝子の発現やタンパク質に問題が生じていると考えられています。自己免疫疾患(膠原病)やアレルギー、最近ではがん、肥満や動脈硬化症も慢性炎症と関連があると報告されています。


図1:蛋白質(タンパク質)の異常と病気

私たちはウイルスが起こす血液細胞のがんである成人T細胞白血病(ATL)の研究をとおして、1)細胞の核の中で遺伝子の発現調節をするNF-κB(エヌエフカッパービー)と呼ばれるタンパク質が異常に活性化していて遺伝子の発現に異常が生じていること、2)それががん細胞の生存と増殖に必要であること、3)その原因が細胞膜からNF-κBへと情報を伝えるシグナル伝達経路上にあるNIKというタンパク質の過剰発現であること、4)その現象は血液細胞のがんに限らず肺がんや卵巣がんなどウイルスが関係していないと考えられるがんでも起こること、などを明らかにしました。NF-κBが活性化するとがん細胞の増殖が促進されたり、抗がん剤が効かなくなったり、浸潤や転移といった生命を脅かす現象が起こりやすくなることがわかっています。NF-κBを活性化する原因となっているNIKはマウスが生まれてくる過程で免疫機能の発達に重要な役割を果たしていることが報告されているので、ヒトでもNIKをがんの治療標的にすると問題が起こる可能性があります。そこで次に、活性化したNF-κBのために異常に多く作られていてがん細胞を助けているタンパク質を見つけ出し、それを治療の標的とすることはできないかという研究をしました。

この研究では、タンパク質に小さな目印(翻訳後修飾)を付けたり外したりする役割を持つA20というタンパク質に注目しました。A20は、もともと仕組みはわかっていないものの細胞を死ににくくすることが知られていて、前述のATL白血病細胞の中ではNF-κB活性化のために異常にたくさんのA20が作られていています。がん細胞は、当たり前の事のようですが(1)増える(2)悪性化する、という特徴を持っています。ただそれだけでは不十分で、さらに(3)死ににくい、という特徴を備えていて初めてがん細胞たりうるのです。細胞が本来居るべき場所ではない所に居る時、条件の整っていない環境で増えようとする時、遺伝子に大きな異常が起きた時、細胞では死のプログラムが発動されるようセットされています。ところががん細胞は、その死のプログラムのスイッチを切るために、細胞の死を誘導するシグナルをさまざまな方法で遮断しており、ATL白血病細胞でのA20の異常発現はその遮断方法の一つと考えられるのです(図2)。なぜなら、研究の結果、白血病細胞で高発現しているA20が細胞死を起こすタンパク質に結合してシグナルを出さないようにしていることや、A20の発現を下げるだけで細胞に自殺のスイッチが入り増殖が止まることなどが明らかになったからです。


図2:細胞死シグナルをブロックして生存を図るがん細胞

がん細胞の増殖を抑える治療法の飛躍的な進歩にもかかわらず、がんによる死亡者数は増え続けています。これまでのがん治療であまり標的として注目されていなかった「がん細胞がどのようにして生き延びるのか」というしくみが解明されることで、治療が難しいとされている多くのがんに対して有効な治療法の開発に貢献できるのではないか、と期待されます。

研究者を目指す若者へのメッセージ
人類の長い歴史を振り返ってみると、ヒトは優れた脳を持ったおかげで文明を発達させ、豊かな食糧を手に入れ感染症など多くの病気を克服して、長生きできるようになりました。その一方で、加齢に伴う病気は大きな社会問題となりつつあります。その代表的なものが人の生死にかかわる「がん」という病気で、毎年患者さんは増え続けています。皆さんの身近な人の中にもがんに罹った方がいらっしゃるのではないでしょうか。がんは遺伝子の病気と言われて久しいのですが、たったひとつの遺伝子の異常でがんができるわけではありません。遺伝子はタンパク質を作るための暗号です。さまざまなタンパク質がネットワークを構成して細胞を生かし、細胞が集まって臓器を作り、生命を支えています。がんの研究も遺伝子、タンパク質、細胞、臓器、個体のあらゆる段階で進められていて、生命の根源を問う研究であるとも言えます。人類はまだ細胞ひとつ作ることもできませんが、生命という未知の大海を解き明かすための羅針盤は手に入れつつあります。将来を担う若い君たちが生命科学に関心を持って、柔軟な発想をもとに新たな航路を開いてくれることを期待しています。

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