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高橋雅英
名古屋大学大学院 医学系研究科 分子病理学
1954年岐阜県生まれ
出身高校:私立東海高校
趣味:妻と二人で映画鑑賞、観劇
研究室HP: http://www.med.nagoya-u.ac.jp/patho2/
ヒトの体は数十兆個の細胞から構成されていると考えられています。その1つ1つの細胞が特有の機能を有しており、神経系や血管系、あるいは心臓、肝臓、腎臓といった臓器を作ることにより、体の正常な営みに重要な役割を果たしています。ヒトの体が正常につくりだされるためには、発生の過程で個々の細胞がその役割を果たす部位に正常に動いていかなければなりません。
では細胞の動きに異常がおきると私たちの体にどのような異変が生じるのでしょうか。一番よく知られていることは、がん細胞の「転移」という現象だと思います。がん細胞が恐ろしいのは、非常に高い運動能力を獲得し、体の中を動き回ることができることにあります。がんの治療を考える上で、がん細胞の運動能を抑えられる薬剤を作ることができれば、がんの転移を抑えられることになります。そのためには、がん細胞が運動能を獲得するメカニズムを解明するということが重要になります。
私たちの研究室では「なぜがん細胞の運動能が高まるか」というテーマで研究を進めています。その研究の中から2005年にがん細胞の転移に重要な役割を果たす「ガーディン(Girdin)」と名付けた新しいタンパク質を発見しました(図1、図2)。ガーディンはアクチン線維と呼ばれる細胞の動きに関与するタンパク質(細胞骨格とも呼ばれる)と結合することにより、がん細胞の運動能を制御していることがわかりました。ガーディンは単独では機能を発揮することができず、アクチン線維の他に多くのタンパク質と協力して細胞の運動を調節しています(図2)。
私たちの研究によりガーディンをがん細胞からなくすと、がん細胞はほとんど動けなくなりました。肺への転移能が非常に高いヒトの乳がん細胞をマウスの皮下に接種すると肺に高率に転移します。このがん細胞からガーディンをなくすと、肺への転移能が著しく低下することもわかりました。また脳腫瘍においては、ガーディンが多く存在すると脳腫瘍細胞の悪性度を高め(図3)、脳内に腫瘍細胞が広がりやすくしていることを明らかにしました。さらに興味深いことに、ガーディンは「脳腫瘍幹細胞」と呼ばれる腫瘍細胞の親玉の生存や維持にも重要であることがわかってきました。現在、ガーディンを標的にしたがん治療法の開発ができないか検討を進めているところです。
また、ガーディンは神経や血管の形成にも重要な役割をはたしていることが明らかになってきました。神経細胞は成人の脳では新たに生まれないと以前は考えられていました。近年の研究により、成人の脳においても海馬や脳室周囲では神経細胞が生まれていることが示され、注目されています。私たちはこれらの新たに生まれた神経細胞が脳内の適切な位置に移動する際にガーディンが重要な役割を果たしていることを明らかにしました。海馬は記憶の形成に重要な脳の構造ですが、マウスを用いた実験により、ガーディンが正常に機能しないと海馬神経細胞の形態に異常が生じ、記憶障害を起きることを証明しました。
海馬ではガーディンがDISC1(Disrupted-In-Schizophrenia 1)と呼ばれるタンパク質とも協力して神経細胞の適切な位置の決定に関わっていることがわかってきました。DISC1は統合失調症やうつ病などの精神疾患の発症に関わるタンパク質であり、ガーディンの異常が精神疾患と関連がある可能性も指摘されています。さらに、海馬の機能異常はてんかん発作と関連することがよく知られていますが、ガーディンの機能異常を有するマウスでは海馬を構成する神経細胞の配列に乱れが生じ、高率にてんかん発作が生じることも分かりました。したがって、私たちのグループが作製したガーディンの機能障害を有するマウスは精神疾患やてんかんのモデル動物として有用であり、新たな治療薬開発に活用できると考えています。
一方、目の網膜の血管は糖尿病性網膜症や未熟児網膜症などで異常な増殖を示し、失明など重篤な障害を引き起こします。ガーディンは網膜などにおける血管の形成、特に病的な血管の形成に関わっています。ガーディンの機能を低下させる薬を開発することにより、網膜症などの血管に異常を生じる病気の治療にも貢献したいと思っています。